神奈川の大学生の私見と私感

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「新聞記者」望月衣塑子 

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「質問できる記者」の誕生まで

 

官房長官会見で質問をぶつけ続ける東京新聞の記者である望月衣塑子さんの半生と、記者として真実を追求する姿を描いた作品。松坂桃李主演でこの作品を原案に映画化もしている今話題の1冊を読んでみました。

日本のメディア関係はとても興味のある分野であったので、いろいろと考えさせられる作品でした。

官房長官会見とメディアの実態

 

現在の日本の官房長官会見は、核心に触れず、聞かれたくないことは記者も気を使ってきかないという無言の圧力のかかった閉塞的なものであるのだとこの作品を読んで感じました。著者はその中で、自分の探求したことに対して質問を続けて、世間に真実を届けようと奮闘しており、その姿勢にはとても尊敬を抱きました。

このような真実を追い求めるためのジャーナリズム活動は、見えない圧力や周りからの視線など、多くの困難に向き合いながら行わなければならず、それでも自分の活動の仕方を貫き続けるのは素晴らしいと思うと同時に、日本のジャーナリズムはなぜそのようになってしまったのか疑問に感じます。

新聞は政府の拡声器ではない

 

新聞は数々のメディアの中でかなり信頼度の高いものだと思います。インターネットが普及し、情報リテラシー能力が問われるようになっていますが、インターネットで拾った情報より新聞の情報のほうが確実で信頼できるというのはなんとなくの認識があると思います。その新聞が官房長官会見で圧力にひれ伏せて、同じような報道をするのではメディアとしての機能を全く果たしてないと私は考えます。

例えば、Xという事件に対して、政府は見解Aを打ち出し、この見解Aを記者に説明します。現状ではそれに対して突っ込みを入れる記者は少なく、事件Xの見解Aをそのまま新聞にして世間に流すというのがパターンになっているように考えられます。

しかし、私の考える新聞に必要な役割は、果たして事件Xに対して見解Aは適切であるのかを検討し、場合によっては見解Bのほうが適切ではないのか、実は事件Xにはまだ明るみに出ていない事実があるのではないのか、このように疑いをかけて、政府の見解を世間に流す前のフィルターの役割を行うことが大切だと思います。政府の拡声器の役割なら誰だってできる。本作品の著者のように真実を追求していく記者が本来あるべき姿で、絶対にこのように変わっていくべきだと思います。著者の主張が正しいか正しくないかは別として、答えを追求していく姿勢は必ず必要です。フィルターは1枚よりも複数枚、1種類よりも複数種類のほうが効果は上がります。もし、フィルターが間違っていても、複数あればカバーすることもできます。多種多様なフィルターに濾された質の高い情報が新聞から発信されることを期待しています。

以上、ご覧いただきありがとうございました。

Twitter @kana_yoko_D