神奈川の大学生の私見と私感

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第7回 トマ・ピケティ「21世紀の資本」

第11章「長期的に見た能力と相続」(392頁~445頁)

相続の構造

 

現代の富裕国のトレンドとしてr>gとなることは今まで何度もピケティが述べてきた通りです。この不等式は、相続(過去の富)が貯蓄(現在の富)よりも高い価値を持つことを表しています。では、この高い価値を持つ相続とはどのようなものなのでしょうか。

相続は当然ながら資本の動きに大きく影響されます。相続を国民所得との比率でみると、相続の占める割合を構成する3つの要素が浮かび上がってきます。1つ目はβ(資本/所得比率)2つ目はw(死亡率)3つ目はμ(生存者1人当たりの財産に対する死亡時の財産)です。このなかのw(死亡率)は医療技術の進歩により段々と下がっていきます。死亡率の低下は相続の重要性を引き下げる要因になりますが、必然的に相続年齢が上がっていくことになり、富の高齢化が同時に進行していきます。これは死亡時の財産を向上させることになり、μの値が大きくなることを意味します。つまり、w(死亡率)の低下は同時にμ(生存者1人当たりに対する死亡時の財産)の上昇につながるので、医療技術の発展による死亡率の低下は、相続の重要性を減らす原因にはならないのです。

富の高齢化

 

さらに異なる角度から相続と貯蓄についてみていきます。モディリアーニの三角形というモデルがあります。これは、個人の資本の蓄積は定年まで増加し続けて、定年を境に減少をはじめ、死亡時には貯蓄が0に近い状態になるというものです。ピケティはこのモデルは現代の社会では成り立っていないと否定しています。近年では生前贈与というものかなり増加していて、このモデルのように貯蓄は使い切られずに、相続に回されることが非常に多くなっているます。さらに、r>gのように資本収益率も高い割合にあるので相続による資本の価値は高くなり、どんどん拡大していきます。このような相続の拡大と平均寿命の上昇により、高齢者の富は急速に拡大していきました。皮肉なことに、この富の高齢化は両世界大戦により一時的な若返りを見せましたが、「資本収益率」と「成長率」の関係が変化しない限り富の集積プロセス、高齢化は免れないとしています。

現代における相続の役割

 

20世紀の一時的な相続資本の減少は記録に残っている歴史の中で類を見ないことで、唯一トップ1%の労働所得がトップ1%の相続所得を上回った時期でした。よくこの時期のデータを基にして相続は重大なものではなくなった、という見解が出で来るようになりましたがこれは誤りであるとしています。現在、アメリカ型資本主義の考え方で能力主義的な格差の正当化がよく見られます。実質は教育の全体水準は向上したが、格差は特に縮まらず、国民所得の労働に対する割合も変化していないため、本当に平等な実力主義であるとはいえません。不労所得(相続など)に関しては嫌悪されがちですが、最高の利益を得ることのできる市場となっているのです。

 

第12章「21世紀における世界的な富の格差」(446頁~485頁)

 

これまでに何度も登場している資本収益率ですが、この収益率自体にも格差が存在します。まず、資本を多く所有する人は資産管理コンサルタントへの出資を増大させることができるため、より多くの資本収入を得ることができます。さらに、投資への資金が大きいほうがリスク管理を積極的に行うこともできるので資本収益率は富裕層のほうが大きくなるのです。富の格差はこのようなメカニズムのためにより一層広がっていくのです。

この富の格差は国内より世界全体に目をあてると、さらに増幅していることが分かります。グローバルな格差を助長するものとして、格差の正当性という規範が広まっています。前章でも説明したような相続資本への嫌悪などですが、どのように得られた資本であれ、蓄積された富は前記のメカニズムにより格差を広げていきます。また、インフレも資本の集中を妨げるものと思われがちですが、平均資本価格と消費者物価は基本的に同じように変動するため、投資さえされていれば資本はインフレによる影響をさほど受けないのです。

 

世界的に拡大していき、年々格差を広げる資本に対しての説明はここまででほとんど終了しました。これからは第Ⅳ部「21世紀の資本規制」に入っていき、資本格差の対処法や現代社会の向き合い方について述べられています。

以上、ご覧いただきありがとうございました。

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