神奈川の大学生の私見と私感

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メディアは客観報道であるべきか?

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こんにちは、今日はメディアの報道方法について私が感じることを少しまとめて書いていきたいと思います。よろしければお付き合い下さい。

 戦前メディアからの反省としての客観報道

 

メディアの報道内容でよく言われるのは「客観報道」を行うべきだという意見です。つまり、記者の主観に基づく記事を書くのは誤りで、事実のみを客観的に見て報道するべきだという考え方です。果たしてこれは正しいものなのでしょうか。

まず、なぜメディアで客観報道が行われるべきだとされているのでしょうか。その背景には戦前の国策報道や、連合国軍占領下でのプレスコードなどの負のメディアの歴史が大きく関係していると思われます。このような政府などにより意図されたコンテンツを報道することにより、国民が事実を知ることができず、メディアとして最優先されるべきことが蔑ろにされていました。この反省として、「報道は国民に事実を正確に偽りなく伝えるべきである。」という観念が国民や報道機関の中で強く芽生えました。この観念は当然、報道を行う上で最重要事項であり、守られなければならないものですが、この反動として、「報道に記者の意思が入り込んではいけない」、「事実をそのまま客観的に報道しなければならない」という強迫観念を生み出してしまったのではないかと考えられます。

客観的事実×記者の主観からの判断

 

しかし、このような強迫観念はよくないものなのでしょうか。事実を報道するのはメディアとして当然のことではないかと考えられます。

私が考えるのは記者が事実を捻じ曲げて報道するべきだというのではなく、情報を正確に伝えるには記者の意思が入り込むことも必要であると思うのです。いわいる発表報道は正確な情報の提示にはなっていないのではないかということです。すべてのメディアが黒といわれれば黒としか報道しないようでは、与えられる情報に偏りが生じます。その情報の信頼度によって、記者が情報収集を行い、その事実に間違いがないか確認し、あるいは記者の長年の取材経験から生まれる意思を踏まえて、独自の考えをもとに追加取材を行うといった情報を洗練する作業が「正確な情報」を報道するために重要なことであると思います。

客観報道は事実を伝えるために非常な重要な考え方であるとは思いますが、主観的な観点も踏まえて洗いざらいされた情報が真に適切な情報になり、客観視だけでは真に適切な情報に該当しない場合もあるかもしれません。情報を客観・主観のバランスをうまく使い分けて洗練していくのは非常に難しい作業であるとは思いますが、この作業を行っていける記者が多ければ、日本のメディアはよりよくなっていくと思います。

以上、ご覧いただきありがとうございました。

twitter@kana_yoko_D